2017年7月23日日曜日

祈り

最近、父の老いへの悲しさや母の健康への不安が私の中を渦巻いている。

様々な問題や葛藤、家族の中での自分自身の在り様や生き方にとても悩んできたけれど、少し前から一区切りついた感じもある。

感情や葛藤のままに家族の中に入り込むのではなく、少し引いた状態で見られるようになった部分もあるのかもしれない。

そうした感じで両親それぞれの生き方を見せてもらうと、どうしてそうなんだろう、もっとこうしたら楽になれるのにとか、ずっと元気でいてほしいなどとつい思ってしまう。

他人へはドライになれる部分も、愛情を注いでもらってきた両親に対しては、自分の願望がいっぱいでてくる。

私は彼らに彼らが知らない選択や景色を差し出すことはできるかもしれないが、彼らを変えたり、自分がこうだといいなぁと思うものを押しつけることはできない。

その自分の思いとの葛藤を感じるとき、私は両手を空っぽにしてただただ祈ることしかできない。

その祈りは彼らを変えることや、彼らに何かよいことが起こることではなく、自分と同様に彼らも真に幸せで自由であれますようにと、自分の思いや願いを含めたすべてを放して投げること。

時間というものがリアルな中では、変えようもないこと、変えようもできない状況ということは起こってくるけれど、すべては自分には計り知れないことであり、コントロールできることはないから。

両親の存在はこのことを思い出させてくれる。

意味や目的がないこと

意味や目的があると、それらを見いだそうとしたり、それらに向かうことが起こる。

そうしたときには予測不能なことは喜びではなくなり、「隙間(何かをしようとすることなくぼーっとして、起こることを起こるままに受け入れること)」がなくて窮屈で退屈で、たぶん、いつも正しいか間違っているか、成功か失敗かを判断して怯えなければならない。

母は、精神力だけで全力で無駄なく目的に向かおうとし、あらゆることに意味を見いだし、すごいのはそれらを本当に成し遂げてしまうこと。

それはこの世界で生きる上ではとても役立つことだが、すべてのことが母にとっては義務であり、楽しさがなさそうで、毎瞬がとても忙しくて苦しそうだ。

私自身が信じ込んで採用している信念の通りの世界を見ているように、母もそうした忙しくて窮屈な生き方を選択しており、その選択は母の自由だけれど、本当はそうする必要がないことを共に見ることができればと思わずにはいられない。

車の運転も料理も、時間を効率的に使うことが最も正しいことであるのなら、寄り道や失敗、ただ無目的にふと思い浮かぶ通りにやってみること(料理なら食材の組み合わせ、運転なら目的地のないドライブなど)はダメなこととなるが、私にはそうした中に自由や喜びがあると感じられる。

無目的にゆるゆると、両手を開いて起こることを起こるがままに受けとっていくこと。

母を見るたびにそうした在りようを忘れたくないと何度も何度も思う。

2017年6月29日木曜日

普通の生活のうれしさ

6月は前月の仕事量調整のため、一時的にいくつかの負担がなくなり、新規案件の件数が調整され、仕事が落ち着いていた。

そのためか、エネルギーが渇れず、まずは土日に遠出ができたり、両親と関わることが苦でなくなり、次に掃除や料理にまで手がまわるようになった。

このなんでもないこと、普通に日常生活を営めることがとてもうれしく、ありがたく感じている。

これは一人暮らしならではな部分もあるかもしれない、と思う。

仕事や人間関係でエネルギーが枯渇すると、掃除や食事から手抜きになっていき、毎日なんとか起きて服を着て仕事に行くだけで手一杯。

家族がいれば家族のために掃除や洗濯やごはん作りをする理由があるけれど、一人だと、何かのせいにできない。

わたしは時たま、人が住むようなものではないところまで家が荒れ果て、食生活も滅茶苦茶になる。

一方で、エネルギーがあふれてきて、自分を含めた誰のためでもなく、理由もなく、ただただ純粋に、料理や掃除やアイロンがけが静かに楽しいことがしばしばあり、それは言葉で言えない小さな小さな大切な宝物✨

2017年6月25日日曜日

終わり方について

祖父は施設と病院を行き来しながらの生活で90歳を過ぎている。

癌や心不全はあるものの、ボケてもおらず、病のことは一切知らず、食欲旺盛で生への執着がとても強い。

最近、祖父のところへ顔をだしたくなくなってしまったり、祖父に付きあうやさしさを持てない自分がいる。

祖父の祖母への執着の強さ、構ってもらえない瞬間があると機嫌が悪くなること、食への激しい執着。

もちろん自分の中にも同じ自我の種はあるけれど、それらをとても嫌だ、受け入れたくないと感じてしまう。

人間が死を受けいれるとき(死の近さに関係なく生命を使いきろうとするとき)、美しさや力強さ、清謐さがあふれる瞬間があるようになんとなく感じるけれど、その真逆を見ているからなのかもしれない。

祖父には祖父のペースがあるし、祖父の気持ちはまったくわからないけれど、時間がもったいないと感じてしまうし、厳しいことや大事なことを誰も祖父に言えない家族のあり方にも考え込んでしまう部分がある。

仕事一筋で頑張ってきた人だけれど、誰かから満たしてもらおうとする昔から変わらない姿に嫌だと感じてしまうのかもしれない。

自分自身が生ききれていないから祖父のあり様を受け入れたくないのかもしれないけれど、最後の最後まで自分の心の平安への責任の軸足を自分自身にすることを忘れないで生きたい。

そして、心の面で迷惑をかけずにきれいに終わりたい。


家族では煮詰まってしまうことも、仕事としてまったくの他人である施設の看護師さんが生活の中に入ることがこんなにも大切でありがたいということを初めて知った。


「罪や病気や攻撃は、優しさと愛による癒しを求めている誤った知覚と捉えられる。(奇跡講座 教義/中央アート出版)」
次に祖父と会うときは、これを心に留めようと思う。

逆転のさびしさ

自分自身の加齢を感じると共に、最近とみに両親の老いを感じる。

問題はたくさんあるし、父の困った部分は困ったままで、母の癇癪やこれが善だ!の押しつけも変わらない。

でも、それぞれの家に住んでいる3人がたまたまのタイミングで一緒にスーパーや神社、温泉やごはんや旅行に行くとき、心から満足のいく満たされた気持ちになったり、本当に楽しかったりすることが多くなった。

何かの拍子に自分が不機嫌の渦に陥ることもあるし、母が父を責め始めることや父が爆発することもあるけれど、それさえも笑いに変わってしまうことがあったり、その居心地の悪ささえも愛しかったりする。

家族関係を見つめ始めるまで、愛情とは両親の意に沿うことや期待に応えること、親に何かを返さなければいけないことと思っていたし、そうした役割をすることで自分の存在意義を見いだしたり、存在することへの不安を埋めようとしてきた。

その自分で勝手に選択した偽りの役割やめると選択しようとしつづけるとき、自分の人生や選択に責任が生まれて誰かのせいにはできないし、初めて親とは関係のない自分の人生がスタートする。

そのあり方が心地よくなったり、父と母の二人の関係性を安心して見ていられる部分がふえたし、自分が両親の手から放れて新しい家族を作ることにも抵抗が少なくなりつつある。

ただ、家族関係が少しずつ自由になったり安心したりすると同時に、愛しくて両親の老いや世代交代だと感じるとさびしくて握りしめたくなってしまう。

人間は問題の中に入り込んでいるときはその葛藤がなくなってほしいと感じるし、満たされているとその状況が続いてほしいと思ってしまうみたい。

心配はしていないけれど、ただただ今与えられている家族の時間が愛しい。

2017年6月22日木曜日

一人暮らしのごはん事情

料理が好きでたまらない人は別として、一人暮らしかつフルタイムでの正社員の仕事となると、だんだんごはんが手抜きになる・・・。
(←ちょっと言い訳 笑)

私の周りは、社内の実家暮らしの先輩たちは家に帰るとお母さんの手料理が待っていて、同じ年代の一人暮らしの友だちは料理まで手が回らなくて作らなくなっちゃった~という人が多い。

この一年~二年ほどは特に、平日は帰宅すると電池が切れたように何もできず、休日も寝ているかおでかけかの怠惰な生活。

お金がかかる負担<ないエネルギーを搾って料理する負担

って感じ。

もう少し要領よければなぁと思う日々だ。

でも、外食や買ってくるものにも飽き、お金もかかるし、なにより年齢的にも身体の健康が少し気になり始め、なんとか料理とお弁当を続けたいなと思っている。

今日は久しぶりの午後休♪

久々に料理スイッチが入り、とても楽しくてあっという間に時間が過ぎた。

夢中だったり、理由なく楽しく作れたときは味もおいしい✨

なによりも、お鍋で炊くことこと煮たり、味が染み込むのを待ったりという心のゆとりがうれしい。

なんとか続けてみようかなぁと思う。

2017年6月11日日曜日

写真

生命あふれる本当に美しいその一瞬を、カメラがたまたま切りとっているということがある。

カメラを習ったことはないし、一眼レフのカメラも使ったことはないけれど、ごくたまにそんなことを感じる。

これまでは植物や風景の写真になんとなくそうしたことを感じていたけれど、友人や母を撮る機会が続き、作り物ではない、何か生き生きとしたものがあふれだす一瞬は確かに存在するなぁと思える。

そしてその一瞬は本当はいつでもどんなときでも在り続けているものなのかもしれない。

その切りとられた一瞬は本当に美しく、力と喜びをもたらしてくれ、いつまでも見ていたくなる。

2017年6月5日月曜日

背伸びをやめること

今日は友人の披露宴に出席させてもらった。

人と話すことがとても苦手だったり、極度に緊張して萎縮してしまうことのある人。

そんな彼女が、取り繕ったり無理して背伸びすることなく、ただただそのままを受け入れられていて、素敵な笑顔でうれしそうな様子を見て、わたしも嬉しくなった。

こうでなくては自分はダメで価値がない、あるいは、他者からどう見られるか(バカにされないようにしなくては)を気にする自我のパターンが何度でもやってくる。

それでも、ひとつ自分の中のくだらない戦いから降りると、余分な力がぬける。

今回、披露宴のための服や装飾品は母が張りきってくれ、感謝はしているのだけど、そこにはやっぱり力みがあり、自分の好みではなく、他者からよく見られなければあなたはダメだという無意味な競争が含まれている。

私自身も自信のなさから、そうした恐れが根底にある母の自我のパターンにのってしまった。

一旦静まり、本当に大切なことはなにか問い直しつづけよう、自分はダメだという錯覚はもうやめたい、そう思った。

今日の友人の姿も、お気に入りの物たちも、自分で自分にかけている呪(自分で選択しているパターン)はもう必要ないんじゃない?という呼びかけのように思える。

ひとつ階段から降りて、特別な何かにならなくてもいいかもしれないと思えたら、頭を悩ませていた作成中の文章も生まれていた。

競争から降りること、何者かになるのをやめてみること、そうしたい。

2017年6月4日日曜日

シンプルさと素朴さ

たまたま本屋さんで手に取ってから、この半月ほど、小川糸さんのエッセイや小説が好きで色々読んでいる。

ご主人との日常生活の様子から「結婚」とか「誰かと関係を築くこと」に対して少しだけ肯定的に思えたり、丁寧でシンプルな生活の描写が好きだったり。

母から精神的・物理的に離れてみて、わたしはシンプルさと素朴さとゆとりをとてもとても大切にしたいのかもしれないと感じている。

特別なこと、特別ななにかは本当は必要なく。

「特別ななにかをもったわたし(物も能力も容姿も)」でなければならないという信念を完全に放棄できたら、きっとずっとラクになれるだろう。

今、とてもお気に入りのものが2つある。

ひとつは時計で、もうひとつはお花のついたかごバッグ。

どちらも一目惚れで、見ていると静かなうれしさと自由さと、素朴さの中の愛らしさを感じる。

ぎゅっと防御しつづけている鎧が綻び、そうしたものが自分の中からも顔をだせたらうれしいなぁと思う。

なにも考えていないときに予想外に訪れるそうした選択は、本当はこう在りたい、この窮屈さはもうやめたいというものに気づかせてくれるようだ。

糸さんの本も、たまたま心から気に入って自分の元にきてくれた物たちも。

父からのLINE

父もわたしも、お互いに遠慮や信頼の欠如というものがどこかある。

だから、時々自分でも嫌になるほど、ぎこちないなぁと苦笑してしまうこともある。

そんな関係だから、父から近況報告のLINEや電話がくることはほとんどないのに、今日はなんの前触れもなく、そうした連絡があり、たわいもないやりとりが無性にうれしくてあたたかかった。

時間や回数は圧倒的に母との連絡の方が多いのに、常に効率と自分の言いたいこと優先の母とでは、そうした楽しい間(ま)は今のところ感じられない。

今夜、父は東京にいるらしく、神社の写真数枚と共に、たい焼きの行列に並んでいる状況報告が送られてきた(笑)

更にオチは、地元でいつも食べているたい焼きの方がおいしかったとのこと。

父はいつもおバカさんなところを見せて一緒にそれを笑わせてくれる。

正しいことが善で、間違ったりバカなことは絶対にダメだという信念からなかなかぬけられないわたし。

自分の中のバカさをゆるやかに笑い飛ばすことができれば、もう少しやわらかな人間になれるかもしれないなぁと思う。

2017年6月2日金曜日

他者からの評価

「自分はダメだ」という判断をやめられないわたし。

それは、会社の中にいても、家族の中でも、生き方全般においても。

パターンというのは、それを持ち続けることでの「メリット」が必ずある。

今朝は歩きながらふと、あぁ、わたしは他者からの基準や評価があるとものすごく安心するんだ、と気づいた。

それは「よい」と評価されることでも、「ダメだ」と評価されることでも。

たとえば、会社の中のことを考えたとき、自分よりも上の人がいて、よいだのダメだの言われると、自分の位置が明確で、所在のなさに気づかなくてすみ、存在の不安をごまかせる。

でも、そうした基準や評価は本当に正しいのか、自分を生きやすく自由にしてくれるのかはわからないこと。

よくできると評価されることも、逆にあなたはダメだと評価されることも、本当に表裏一体。

そのことがふと腹に落ちると同時に、身体の膨らみや浮腫が少しひいた。

もしかすると、そうした価値観は自分を幸せな状態から遠ざけてしまうことに気づき、もうそのやり方はやめてもよいと決断し始めた瞬間なのかもしれない。

一度こうした気づきで一瞬でも立ち止まることができれば、あとは何度でも選択し直せるはず。

小さな小さな希望の光に思える。

2017年5月17日水曜日

父との壁

今日の時点で、人生の3分の2以上、わたしの中で父は悪者扱いだった。

随分ひどいこともした。

大人になり、母との関係性について立ち止まると同時に、父からどれほどのまなざしと見返りのない愛情を与えられてきたのかを知ったし、自分が本当はどれほどお父さんのことが大好きかも知ることになった。

父との関係はそこからがスタートで、親子といえども、長年の空白を埋めることは本当に難しく感じてきた。

それは今も同じで、その関係性は脆く、なにかの拍子に壊れてしまうかもしれないと感じることもある。

二人きりでのお茶やごはんに誘ってみたり、家族三人での話の中で母が会話を横取りするのを父に戻すようにしたり、形の上でも色々やろうとしてはきた。

根本はわたし自身の心の中の問題だが、それでも形の上での関係性を築くことも大切だと思っている。

空白期間が長すぎて、どこかぎこちない部分もあるし、父から○○しようよという強い誘いや、なにもない中で父の方から延々と愚痴が出てくることもあまりない。

それが、今夜は父から電話がかかってきて、母への愚痴や、母と二人きりの旅行は嫌だから一緒に行かないかという強い誘いがきて、これまであまりない感じだったから、ちょっとうれしくなった。

話す内容に関係なく、どんなことでも気づきやつながることへの入口になるけれど、そもそもその機会がなければ難しい。

父の「自分がお母さんよりも大人になって我慢してあげているんだ!」という言葉には笑えたし、父は本当に抜きん出てダメダメなことでいっぱいだけれど、いつか母も父の愛情に気づく日がくるといいなとそっと思う。

2017年5月13日土曜日

お母さん、わたしの話も聞いてよ!

母と境界線を保ったり、わたしがわたしらしくあるとは本当はどういうことだろう・・・と問いかけるようになって、母との関係性への捉え方は日々変わりつつある。

母が根本的にはなにも変わっていないように思えてしまっても。

そうした中でも、母がわたしの話を全然聞いてくれず、いつも自分の言いたいことだけを話すということには、今も怒りと悲しみを何度も何度も感じてしまう。

見知らぬ人がわたしたちの母娘関係を見ると、一見すると、和やかに話をしていて仲もよさそうで、母は娘のことを気にかけているように見えることすらあるかもしれない。

実際には、母は常に自分のことに一生懸命で、常に主人公でありつづけて、他者が誰も関われない一人きりの世界の中にいつづけている。

例えば、わたしが具体的に伝えなければならない用事があっても、その話をする前に母の話にすり替わってしまったり、高熱でうなされていても母の話が延々とつづいたり。

なので、もっとたわいもない話は母の耳にも届かず、笑いや親密さといったことも起こり得ない。

その「共有できない漠然としたなにか」に違和感を感じ、これ以上無視できないと感じたのが数年前。

違和感からもう少し深く探っていったら、そこには気づいてもらえなかったわたしの怒りや悲しみがあった。

このことへの怒りを持ちつづけているわたしは、別の意味で母と同じで、ストーリの主人公になりたがり、被害者でいることを選択し、他者を責めたい衝動に駆られる。

実際に、母以外の人との関係の中でも同じことが起こり、怒りがわきおこり、パターンは何度でも繰り返されることに気づかざるを得なかった。

それを見たときに、悲しみがあることは無視しないけれど、母との関係で満たされなかったこの怒りを他者のせいにするのはもうやめようと決めた。

こうした選択をつづける中で、母がまったく話を聞いてくれない人でも、その在りようを心からゆるせるといいなと思う。

2017年3月6日月曜日

繰り返すパターン

家族関係の連鎖は自分の中の問題をどこかで終わらせない限り、永遠に同じパターンを繰り返していくのではないか、とわたしは思う。

(↑だから、今の自分がこうなのは、決して家族や両親のせいではない。)

これまで自分自身のすべてや自分の選択に自信がもてず、パートナー関係を築けなかった。

安心する人、好きになった人、色んな楽しい時間を過ごした人たちはいるけれど。

関係が築かれてしまうのが怖いから、強力なバリアを張ってきた。

そのやり方ってずるいなぁと今は少しだけ、ばかばかしく笑える。

わたしは、結婚・出産を経験していてもおかしくない年齢だ。

周りの信頼できる人たちに、とりあえず今のままで飛び出してごらんと何度も何度も言われて、ようやく一歩を踏み出した。

色々な人と出会ってみて、メッセージのやりとりや会話をする中で、わたしは両親の期待に応えることやその快感や偽の安心を選択することはやめたけれど、今度は特にパートナーとなる人との間でそのパターンを繰り返すなぁと強烈に痛感している。

誰一人として「わたし」を見ているのではなく、幻想と錯覚と期待の入り混じった眼鏡を通してしかわたしを見ていない。

否定されるのが怖いから、受け入れられたいから、別に好きでもない相手なのに、ついう~んと背伸びしようとしてしまう。

期待に応えれば安心だというこのパターンをひとつずつやめていこうと決めた。

2017年1月29日日曜日

選択への戸惑い

ひとり暮らしをしてみて、自分の好みや心地よく感じるものを考えなければいけない時間がふえた。

その自由さはとても苦痛だった。

あらゆることをどうやって選択したらよいのかわからないし、好みなんてわからないし、何から手をつけて好みを探せばよいのか、本当に本当に本当にわからなかったから。

これまで、服を買ったり選ぶことも、お金の使い道も、行く場所も、読む本も、すべてを母に把握されていたし、母の顔色を見てそれに合わせれば世間的にも失敗することは少なかった。

でも、亀の歩みのようだったけれど、少しずつやらざるを得なくて、食器やキッチン用品、リネンや毛布、服や靴、見たい番組、旅行の仕方、生き方、結婚観などなど、失敗しながらも好みは少しずつでてきている。

たくさんの失敗を重ねて、貯金も随分減ったけれど、やってみた数だけ見えてくるものがある。

ひとつずつ心地よく感じるものに囲まれていったり、心が緩む時間を見つけると、とっても嬉しくなる。

ハーブティーやお茶を時間をかけて淹れる時間、土鍋でことこと煮る時間、日向ぼっこしながら休日にお昼寝する幸福感、くだらないテレビを見たり漫画を読むだめだめな時間、無目的に歩くこと、旅先で生活に溶け込むわくわく感。

そうしたものは、母が好むものとは真逆であり、母に合わせていたらまったく見えてこなかったもの。

このひとつずつ探しあてている心地よいものは、宝物のようにぎゅっとしたくなる大事なものだ。

でも、次の瞬間に好みや価値観は変わってもよくって、握りしめておく必要もなくって、流動的でいいのだ。

母の自由

母のわたしに対する過干渉とコントロールは、その上の世代の祖母と母の間にもある。

母自身がその関係性に不満と怒りをもっていながらも、母自身が娘に対して同じことをしているとは本人はまったく気づいていない。

おそらく、わたしがただ母のことを嫌いになって出ていったくらいにしか思っていないだろう。

もしわたしに子供や夫がいれば、同じような家族関係になっていたかもしれない。

わたしは母を変えようとは思ってはいない。

母がどんな風に物事を見て、どんな行動をして、どんな風に感じながら毎瞬を歩んでいくかは、完全に母の自由だからだ。

このことを受け入れることには時間を要したし、今でも裁きたくなる衝動は幾度となく起こる。

逆に、わたし自身の幸せや窮屈さも誰かのせいではない。

この自由さを完全に受け入れられたなら、人間関係のなかでの葛藤や恐れは激減し、恐れからコントロールをしてしまうということもなくなるだろう。

ひとり暮らし

母との物理的距離をとるため、プライバシーを守るため、そして、何よりも母の過干渉と不機嫌によるコントロールに我慢ならず、私は同じ市内に住みながらも「ひとり暮らし」を選択した。

決して肯定的な理由ではなかったけれど。

そして、半ば家出状態だったけれど。

物理的距離をとって、母が目の前にはいなかったとしても、習慣や思考や罪悪感というものは、わたしを縛りつけて支配した。

それは今でも同じだ。

仕事でも家族でもストレスがピークに達し、ちょうど休職をしていた時期でもある。

あまりの孤独とさびしさと不安とに、わたしは気づかぬうちに逃避と依存という迷路に入り込んでいった。

お金の管理から目をそらし、適切な量の食べ方がわからず、もっとも重要ななことを話せる人はいなかった。

いたのかもしれないけれど、問題から目をそらしたかったし、本当に孤独で恐くて仕方がなくて、いつも恐れて心を開けなかった。

働き始めてからの貯金がほとんど消え、気づかぬうちに容姿も太って変わり果てた姿になっていたことに気づけたのは最近のことだ。

それらの表面的な問題は、心の奥底の錯覚と単なる誤りであり、どんな瞬間からでも訂正はできるということを気づかせてくれるきっかけとなる。

ひとり暮らしを始めてからそういう風にしかやってこられなかった自分を責めることなく、ただそこに存在しているように見える問題を直視し始めたとき、自分の中で少しだけ何かが変わり始めた。

親に対し、わたしはあなたのやり方に付き合うことはもうしたくありませんという激しい主張を突きつけることもした。

思考の上や物理的距離や経済的自立ということでなく、精神的な自立と親離れが訪れたとき、不安と同時に芽吹きのように感じられた。

視界が開け、どんな選択もできる自由が目の前にただただ広がっているかのように。

それはほんの一瞬のことであり、幾度もこれまでと同じパターンは訪れるけれど、少なくとも今は、これまでとは違った心の選択もできる、そこには自由があるということをどこかで気づいている。

とっても大きな一歩だ。

2017年1月28日土曜日

生命は弱くない

人間は、他者を傷つけたり、他者から傷つけられるような弱い存在ではない。

幾度も母とぶつかったり、自分の意見や好みを押し通すというチャレンジを続けてみて、母は私が思い込んでいたような弱々しい存在ではないということには確信をもっている。

同時に、母からの言動で自分が傷つくということも錯覚であり、自分が不幸な理由を他者に責任転嫁していること。

私がキレて家を出るたびに、母はこの世の終わりというくらい泣き叫び、体調を悪くし、土下座のごとく謝り倒すけれど、そこには本当の詫びがないことが透けて見えてきたし、一瞬のちには立ち直っているから。

この人間の強さと自分への責任という点は、母娘関係だけでなく、あらゆる人間関係にあてはまると思う。

自分の中の強さ、他者の中の強さを確信をもって信頼できたとき、初めて、横暴という意味ではなく、本当に自分のやりたいことができ、自分の好みを探っていくことができ、自由と平安が訪れるのではないか。

関係性の脱却に伴う痛み

甘美で安全な母娘関係から脱却することは、自由であると同時に、本当に脱却し始めたときには、ドン底の孤独と責任が押し寄せる。
それでも、そこには清々しさが溢れる。
どれほど大きな孤独と責任への恐怖があってもだ。
ドン底の孤独と責任を突きつけられて初めて、今直面している様々な状況に能動的に向き合い始め、誰かに自分の苦しみの原因を責任転嫁できなくなる。
ようやく大人への一歩だ。
私自身が思考の上ではなく、本当の意味でこのことが腹に落ち始めるのには、色々な取り組みをしていたにも関わらず、相当な年月を要した。
やろうと思ってすんなり受け入れられるものでも、理解して実践できるものでもないから厄介なのだ。
でも、覚悟を決めて本当に求め続けたときには開かれない扉はない。
どれほどの年月がかかっても。

追記:
この日、新年早々、母に対してブチ切れた。
ただ単に感情で怒ったわけでなく、キレるという表面的行動と同時に、深い孤独感と責任が押し寄せ、それらを受けいれた瞬間に何度目かの精神的自立を感じた日でもあった。
例え無意識下であっても、両親に精神的に依存(気持ち悪い意味合いでなく、孤独を埋められたり、自分の人生の責任をなんらかの形で回避すること)があれば、新しいことや変化を受けいれなくて済み、窮屈ではあるけれど楽ちんな部分もある。
本当の自由や幸せでなくても、牢獄の中の方が一部メリットに感じられる気がする部分があるから、人間って厄介(笑)。

わたしが経験している家族関係

ドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」を見ながら、回を重ねるごとに、私自身が経験してきた家族関係と酷似していてぞっとしている。

作中の母娘の会話もほとんど同じであり、仲良し親子、服の趣味から好みまですべて同じ、お互いの考えていることは手に取るようにわかる、などなど。

今から約5年ほど前、20代前半の頃、家族関係にふとした違和感を感じ、何かもっとよい形があるはずだと思ったことが、戦いの始まりだった。

そう、ドラマの中のお父さんの言葉通り、「戦い」なのだ。

相当の覚悟がないと、これまでの関係性を変えることは難しい。

愛情という仮面を纏っている蜜月は手放しがたいほど甘美であり、ある意味では安心を与えてくれるから。

そして、何より、愛情を与えてもらっているのに裏切ってしまう自分でいいのか、自分のことを何よりも考えてくれている母を悲しませていいのか、自分ばかり好きなことをやっていいのか、という罪悪感に幾度も幾度も苛まれるからだ。

疲弊してまで母との間に荒波を立てることもないのではないか、この戦いはそもそも間違っているかもしれないと、感じてしまうこともある。

これまで通りの関係でいることを選択してもいいし、変えてみたい!と新たな扉を開いてみてもどちらでもいいのだと思う。

ただ、私自身は、新たな一歩を踏み出すことで、自由を体験し、本当のやさしさや思いやりをもて、人生を味わい尽くすことができるのだろうということには確信をもっている。