ひとり暮らしをしてみて、自分の好みや心地よく感じるものを考えなければいけない時間がふえた。
その自由さはとても苦痛だった。
あらゆることをどうやって選択したらよいのかわからないし、好みなんてわからないし、何から手をつけて好みを探せばよいのか、本当に本当に本当にわからなかったから。
これまで、服を買ったり選ぶことも、お金の使い道も、行く場所も、読む本も、すべてを母に把握されていたし、母の顔色を見てそれに合わせれば世間的にも失敗することは少なかった。
でも、亀の歩みのようだったけれど、少しずつやらざるを得なくて、食器やキッチン用品、リネンや毛布、服や靴、見たい番組、旅行の仕方、生き方、結婚観などなど、失敗しながらも好みは少しずつでてきている。
たくさんの失敗を重ねて、貯金も随分減ったけれど、やってみた数だけ見えてくるものがある。
ひとつずつ心地よく感じるものに囲まれていったり、心が緩む時間を見つけると、とっても嬉しくなる。
ハーブティーやお茶を時間をかけて淹れる時間、土鍋でことこと煮る時間、日向ぼっこしながら休日にお昼寝する幸福感、くだらないテレビを見たり漫画を読むだめだめな時間、無目的に歩くこと、旅先で生活に溶け込むわくわく感。
そうしたものは、母が好むものとは真逆であり、母に合わせていたらまったく見えてこなかったもの。
このひとつずつ探しあてている心地よいものは、宝物のようにぎゅっとしたくなる大事なものだ。
でも、次の瞬間に好みや価値観は変わってもよくって、握りしめておく必要もなくって、流動的でいいのだ。
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