母との物理的距離をとるため、プライバシーを守るため、そして、何よりも母の過干渉と不機嫌によるコントロールに我慢ならず、私は同じ市内に住みながらも「ひとり暮らし」を選択した。
決して肯定的な理由ではなかったけれど。
そして、半ば家出状態だったけれど。
物理的距離をとって、母が目の前にはいなかったとしても、習慣や思考や罪悪感というものは、わたしを縛りつけて支配した。
それは今でも同じだ。
仕事でも家族でもストレスがピークに達し、ちょうど休職をしていた時期でもある。
あまりの孤独とさびしさと不安とに、わたしは気づかぬうちに逃避と依存という迷路に入り込んでいった。
お金の管理から目をそらし、適切な量の食べ方がわからず、もっとも重要ななことを話せる人はいなかった。
いたのかもしれないけれど、問題から目をそらしたかったし、本当に孤独で恐くて仕方がなくて、いつも恐れて心を開けなかった。
働き始めてからの貯金がほとんど消え、気づかぬうちに容姿も太って変わり果てた姿になっていたことに気づけたのは最近のことだ。
それらの表面的な問題は、心の奥底の錯覚と単なる誤りであり、どんな瞬間からでも訂正はできるということを気づかせてくれるきっかけとなる。
ひとり暮らしを始めてからそういう風にしかやってこられなかった自分を責めることなく、ただそこに存在しているように見える問題を直視し始めたとき、自分の中で少しだけ何かが変わり始めた。
親に対し、わたしはあなたのやり方に付き合うことはもうしたくありませんという激しい主張を突きつけることもした。
思考の上や物理的距離や経済的自立ということでなく、精神的な自立と親離れが訪れたとき、不安と同時に芽吹きのように感じられた。
視界が開け、どんな選択もできる自由が目の前にただただ広がっているかのように。
それはほんの一瞬のことであり、幾度もこれまでと同じパターンは訪れるけれど、少なくとも今は、これまでとは違った心の選択もできる、そこには自由があるということをどこかで気づいている。
とっても大きな一歩だ。
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