甘美で安全な母娘関係から脱却することは、自由であると同時に、本当に脱却し始めたときには、ドン底の孤独と責任が押し寄せる。
それでも、そこには清々しさが溢れる。
どれほど大きな孤独と責任への恐怖があってもだ。
ドン底の孤独と責任を突きつけられて初めて、今直面している様々な状況に能動的に向き合い始め、誰かに自分の苦しみの原因を責任転嫁できなくなる。
ようやく大人への一歩だ。
私自身が思考の上ではなく、本当の意味でこのことが腹に落ち始めるのには、色々な取り組みをしていたにも関わらず、相当な年月を要した。
やろうと思ってすんなり受け入れられるものでも、理解して実践できるものでもないから厄介なのだ。
でも、覚悟を決めて本当に求め続けたときには開かれない扉はない。
どれほどの年月がかかっても。
この日、新年早々、母に対してブチ切れた。
ただ単に感情で怒ったわけでなく、キレるという表面的行動と同時に、深い孤独感と責任が押し寄せ、それらを受けいれた瞬間に何度目かの精神的自立を感じた日でもあった。
例え無意識下であっても、両親に精神的に依存(気持ち悪い意味合いでなく、孤独を埋められたり、自分の人生の責任をなんらかの形で回避すること)があれば、新しいことや変化を受けいれなくて済み、窮屈ではあるけれど楽ちんな部分もある。
本当の自由や幸せでなくても、牢獄の中の方が一部メリットに感じられる気がする部分があるから、人間って厄介(笑)。
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