2017年6月25日日曜日

終わり方について

祖父は施設と病院を行き来しながらの生活で90歳を過ぎている。

癌や心不全はあるものの、ボケてもおらず、病のことは一切知らず、食欲旺盛で生への執着がとても強い。

最近、祖父のところへ顔をだしたくなくなってしまったり、祖父に付きあうやさしさを持てない自分がいる。

祖父の祖母への執着の強さ、構ってもらえない瞬間があると機嫌が悪くなること、食への激しい執着。

もちろん自分の中にも同じ自我の種はあるけれど、それらをとても嫌だ、受け入れたくないと感じてしまう。

人間が死を受けいれるとき(死の近さに関係なく生命を使いきろうとするとき)、美しさや力強さ、清謐さがあふれる瞬間があるようになんとなく感じるけれど、その真逆を見ているからなのかもしれない。

祖父には祖父のペースがあるし、祖父の気持ちはまったくわからないけれど、時間がもったいないと感じてしまうし、厳しいことや大事なことを誰も祖父に言えない家族のあり方にも考え込んでしまう部分がある。

仕事一筋で頑張ってきた人だけれど、誰かから満たしてもらおうとする昔から変わらない姿に嫌だと感じてしまうのかもしれない。

自分自身が生ききれていないから祖父のあり様を受け入れたくないのかもしれないけれど、最後の最後まで自分の心の平安への責任の軸足を自分自身にすることを忘れないで生きたい。

そして、心の面で迷惑をかけずにきれいに終わりたい。


家族では煮詰まってしまうことも、仕事としてまったくの他人である施設の看護師さんが生活の中に入ることがこんなにも大切でありがたいということを初めて知った。


「罪や病気や攻撃は、優しさと愛による癒しを求めている誤った知覚と捉えられる。(奇跡講座 教義/中央アート出版)」
次に祖父と会うときは、これを心に留めようと思う。

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