自分自身の加齢を感じると共に、最近とみに両親の老いを感じる。
問題はたくさんあるし、父の困った部分は困ったままで、母の癇癪やこれが善だ!の押しつけも変わらない。
でも、それぞれの家に住んでいる3人がたまたまのタイミングで一緒にスーパーや神社、温泉やごはんや旅行に行くとき、心から満足のいく満たされた気持ちになったり、本当に楽しかったりすることが多くなった。
何かの拍子に自分が不機嫌の渦に陥ることもあるし、母が父を責め始めることや父が爆発することもあるけれど、それさえも笑いに変わってしまうことがあったり、その居心地の悪ささえも愛しかったりする。
家族関係を見つめ始めるまで、愛情とは両親の意に沿うことや期待に応えること、親に何かを返さなければいけないことと思っていたし、そうした役割をすることで自分の存在意義を見いだしたり、存在することへの不安を埋めようとしてきた。
その自分で勝手に選択した偽りの役割やめると選択しようとしつづけるとき、自分の人生や選択に責任が生まれて誰かのせいにはできないし、初めて親とは関係のない自分の人生がスタートする。
そのあり方が心地よくなったり、父と母の二人の関係性を安心して見ていられる部分がふえたし、自分が両親の手から放れて新しい家族を作ることにも抵抗が少なくなりつつある。
ただ、家族関係が少しずつ自由になったり安心したりすると同時に、愛しくて両親の老いや世代交代だと感じるとさびしくて握りしめたくなってしまう。
人間は問題の中に入り込んでいるときはその葛藤がなくなってほしいと感じるし、満たされているとその状況が続いてほしいと思ってしまうみたい。
心配はしていないけれど、ただただ今与えられている家族の時間が愛しい。
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