2017年5月17日水曜日

父との壁

今日の時点で、人生の3分の2以上、わたしの中で父は悪者扱いだった。

随分ひどいこともした。

大人になり、母との関係性について立ち止まると同時に、父からどれほどのまなざしと見返りのない愛情を与えられてきたのかを知ったし、自分が本当はどれほどお父さんのことが大好きかも知ることになった。

父との関係はそこからがスタートで、親子といえども、長年の空白を埋めることは本当に難しく感じてきた。

それは今も同じで、その関係性は脆く、なにかの拍子に壊れてしまうかもしれないと感じることもある。

二人きりでのお茶やごはんに誘ってみたり、家族三人での話の中で母が会話を横取りするのを父に戻すようにしたり、形の上でも色々やろうとしてはきた。

根本はわたし自身の心の中の問題だが、それでも形の上での関係性を築くことも大切だと思っている。

空白期間が長すぎて、どこかぎこちない部分もあるし、父から○○しようよという強い誘いや、なにもない中で父の方から延々と愚痴が出てくることもあまりない。

それが、今夜は父から電話がかかってきて、母への愚痴や、母と二人きりの旅行は嫌だから一緒に行かないかという強い誘いがきて、これまであまりない感じだったから、ちょっとうれしくなった。

話す内容に関係なく、どんなことでも気づきやつながることへの入口になるけれど、そもそもその機会がなければ難しい。

父の「自分がお母さんよりも大人になって我慢してあげているんだ!」という言葉には笑えたし、父は本当に抜きん出てダメダメなことでいっぱいだけれど、いつか母も父の愛情に気づく日がくるといいなとそっと思う。

2017年5月13日土曜日

お母さん、わたしの話も聞いてよ!

母と境界線を保ったり、わたしがわたしらしくあるとは本当はどういうことだろう・・・と問いかけるようになって、母との関係性への捉え方は日々変わりつつある。

母が根本的にはなにも変わっていないように思えてしまっても。

そうした中でも、母がわたしの話を全然聞いてくれず、いつも自分の言いたいことだけを話すということには、今も怒りと悲しみを何度も何度も感じてしまう。

見知らぬ人がわたしたちの母娘関係を見ると、一見すると、和やかに話をしていて仲もよさそうで、母は娘のことを気にかけているように見えることすらあるかもしれない。

実際には、母は常に自分のことに一生懸命で、常に主人公でありつづけて、他者が誰も関われない一人きりの世界の中にいつづけている。

例えば、わたしが具体的に伝えなければならない用事があっても、その話をする前に母の話にすり替わってしまったり、高熱でうなされていても母の話が延々とつづいたり。

なので、もっとたわいもない話は母の耳にも届かず、笑いや親密さといったことも起こり得ない。

その「共有できない漠然としたなにか」に違和感を感じ、これ以上無視できないと感じたのが数年前。

違和感からもう少し深く探っていったら、そこには気づいてもらえなかったわたしの怒りや悲しみがあった。

このことへの怒りを持ちつづけているわたしは、別の意味で母と同じで、ストーリの主人公になりたがり、被害者でいることを選択し、他者を責めたい衝動に駆られる。

実際に、母以外の人との関係の中でも同じことが起こり、怒りがわきおこり、パターンは何度でも繰り返されることに気づかざるを得なかった。

それを見たときに、悲しみがあることは無視しないけれど、母との関係で満たされなかったこの怒りを他者のせいにするのはもうやめようと決めた。

こうした選択をつづける中で、母がまったく話を聞いてくれない人でも、その在りようを心からゆるせるといいなと思う。